成績という言葉を使いましたが、「学ぶ」ことですね。

以下の言葉を発するお子さんは残念ながら「学ぶ」ことが出来ない生徒さんであると思います。

 

学校で習っていないから、、

危険なセリフの一つは、「まだ、学校で習っていないから」(今、学ぶ必要はない)です。

新しい単元に入ろうとするとき、あるいは学校では習わないけどしっておくと理解が深まる、そういう話をしようとしたときに、上記の発言をするお子さんがいます。

(例えば、中学校の化学などでは 「理屈」を教えずに「結果」だけを覚える場合があります。高校化学を履修すると「理屈」がわかるのですが、学校の先生は指導要綱があるので指導できないわけです。学びが主体的の子さんはこの「理屈」を話してあげると「なろほどー」と喜んでくれます。)

この発言からわかることは、学びが主体的でないということです。

「学校」が基準で「自分」が基準になっていないと言ってもよいでしょう。

そのような生徒さんは、自ら進んで学習するということはないですし、じゃあ習ったところが完璧にできるか?といったらそんなこともありません。



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学校の先生のやり方と違う、、

危険なセリフの二つ目は、「学校の先生のやり方と違う」です。

問題へのアプローチの仕方は、数学の場合様々です。

学校の授業では、時間の都合もあるのでしょう王道の解き方のみを板書することが多いでしょう。

で、こういう解き方もあるよ!という風に促した時に

「学校の先生のやり方と違う」というセリフが出てきます。

これも、前者と同じで「学校の先生基準」になっていることで自分が学びの主体になっていないことが原因であると考えられます。

逆に「塾の先生のやり方と違う」と学校で言うのもこれはこれで、同じ問題が潜んでいます。

 

幼少期から無学年で挑戦すること

このような問題を解決するためには、幼少期から検定試験に挑戦することが効果的です。

「漢字検定」「算数検定」「ジュニア算数オリンピック」などにどんどんエントリーしてみるのです。

そうすれば、漢字検定では 習っていない漢字も出ます。

算数検定も、最後の問題は「思考力を問う問題」になっています。

ジュニア算数オリンピックレベルになると「絶対学校では習わない問題」が並びます。

「学校」や「学校の先生」以外の学びの基準を持つことは意外と大切であると考えます。

そうしたお子さんの中には、中学生でありながら高校の数学の問題を解いたり、高校生でありながら大学の問題を解いたりする生徒さんも出てきます。

 

 

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