勉強の本質

勉強の本質は、英語や国語や理科や社会や数学を理解することではない。ましてや、テストで点を取るということではない。勿論、テストで点を取ることは学歴社会の余韻が残る日本では求められる力であるので、テストで点を取ることをひとつの目的として勉強をすることは構わない。しかし、本質を理解せずに点を取ることだけに執着することは、肝心の社会に出て’使えない人材’というレッテルを張られかねない危険な行為だ。

子供たちが勉強することによって習得すべき学びの本質は、「問題解決力」と「創造力」であると言い切って良い。この二つの力を手に入れることができたなら教育は成功であるし、そうでないならどんなにテストの点が高くても失敗である。この二つの力は、学歴ヒエラルキーの中で生きるや否やに関係なく必要な力だ。

「問題解決力」とは、発生した問題を解決する力、あるいは問題を発見して解決する力だ。それは、一般的に現状を分析する(比較する・仮説を立てる)⇒あるべき姿とのギャップを見つける⇒解決策を講じ実行する、という手順で行われる。

改めて納得してほしいのが、国語の評論文もこのパターンとほとんど変わらないことだ。国語の予備校講師である林修は、現代文で得点を取る読みかたとして「対比」「類推」「因果」を意識して読むことを勧めている。そして、小論文を書こうとすれば「対比」「類推」「因果」(それにくわえて「比喩」)をやはり駆使しなければならない。しっかりと運営されているなら数学の授業や理科の実験プロセスも変わらない。エビデンスを見る⇒仮説を立てる⇒実験する⇒結論を出す、この流れだ。本当に大事なのは、この流れを習得することだ。

実はこれらの手法はありとあらゆる分野に適用でき、デザイン制作から営業まで活用できる。もしも、子供がデザイン関係の仕事にかかわるなら、もし、お客さんが若い人で流行好きの人ならこのようなデザインを好むだろうか?ご年配の方で体が不自由なら、ふろをどのようにデザインしようか?このような問いかけに自分なりの答えを探すことが出来るし、子供が営業になるなら、売れている営業マンと自分はどこが違うのか?他社との類似点、相違点についても考えるだろう。

「創造力」といえば、一部の天才しか所有していない力であるというイメージであろう。「創造力」をわかりやすい言葉で言いかえるためにスティーブジョブズの定義を持ち出すならば、「創造力」とはいろんなものをつなぐ力のことである。そして、このような外挿行為は鍛えることが出来るというのが、現在の共通認識である。

「創造力」においての例をだそう。あなたが医者であるとする。胃に致死性の腫瘍を見つけた。一回だけ長時間放射線を当てれば腫瘍はなくなる。ただし、それには大きな問題がある。周りの臓器も焼き払ってしまうのだ。では、どうすればいいのだろうか?

この問いを医学の知識のない数百人に投げかけてみた。心理学者のキース・ホリホークの実験である。

先に答えを述べよう。腫瘍に対して様々な角度から放射線を少しずつ照射する、それが答えだ。

そして、この問いにノーヒントで答えることが出来る比率が高かったのは、工学の知識があるものだった。工学には収斂というこれにに似たものがあるからだ。

次に不正解であった被験者に、キースホリホークがある映像を見せると正答率は跳ね上がった。「大砲が城を取り囲んで襲撃する映像」だ。

被験者は、もともとある知識と関連付けて答えを「創造」したのだ。このようにもともとある知識を新しいことにつなげることは可能であることがわかる。

これらの結果からわかることは、「問題解決力」と「創造力」というのは学校の学びから習得できるものであるということだ。

この二つが学びの本質であることを親は理解しなければならない。

勉強しても社会では使わない、、なんてことは絶対にないのだ。

 

 

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