堀江貴文氏が言うレベルでできる人は少ない

「好きなことに没頭すればいい」堀江貴文さんはよくこう語る。

例えば、自信の例をあげて

「競馬が好き」⇒「誰かの予想を聞く」⇒「どうしてこの人はこう考えたのか検証」⇒「自分で予想ソフトを開発」

これこそが没頭であると語っている。

そして、子育てに悩む親に「好きなことをさせておけばいい」と語る。

消費者レベルを超えるのはまれ

残念ながらこのレベルまで、「勝手に」ものごとを考えることが出来る人は極めて少ないというのが僕の考えだ。

それは、「たくさんの子供たちと話してきた」僕なりの結論だ。

ぼくの周りには、「野球好きの少年がたくさんいる」開けても暮れても野球だ。そして、「野球は好き?」と聞くと当然のことながら、「大好き」と答える。

しかし、そんな生徒に、「防御率の計算方法知ってる?」と聞くとほぼ100%の生徒が「知らない」と答えてきたのだ。

ゲームについても同じだ。ゲームが好きだという高校生に基本的なプログラミングの知識を問って正解が帰ってきたこと、これも皆無なのだ。

つまり、ほとんどの子供は「消費者として好き!」というレベルを超えることがないのである。

果たして、堀江氏が言う「没頭する先」に「自分で予想ソフトを作成する」というようなアウトプットがあるのであろうか?

この点について、教育者の視点として疑問がある。

質問に答えられた人

先ほど挙げた質問、「防御率の計算方法」や「プログラミングの基礎知識」に答えられた生徒がいる。

そして、それらの生徒には共有点がある。

ひとつは、「野球やゲームに興味があること」もう一つは、「一定以上の学力があること」だ。

考えてみれば、堀江氏も「久留米附設高校」⇒「東京大学」という上記の条件に当てはまる。

確かに、堀江氏の言う通り、「興味を持つ」⇒「疑問に思う」⇒「仮説を立てる」⇒「調べる」という一連学びがスマホが普及することによって、誰でもできるような環境になっているという事実は否定しない。

しかしながら、そのような環境になっていることとそれを実践できることには、越えられない大きな壁がある。

勿論、堀江氏が言う、「没頭する力」が学歴のみで決定するわけではないのであるが、(実際、松下幸之助さんなんて小卒ですし)確率論的には、学歴と没頭としてのアウトプットは一致するだろう。

つまり、東大生の「競馬

好き」と低学歴層の「競馬好き」を集めたならおそらく前者のほうが、「没頭の結果としての」「予想ソフト」を開発するだろうということだ。

勉強って実は効果的に「好きなこと」でどう生きるかを学べる方法なんじゃね?

このように考えると勉強というのは、実は「好きなこと」で生きるための基本的な思考訓練をするのに役立っているのではないか?とも考えられる。

実際に、「100ます計算」で有名な陰山先生によると「基礎学力の徹底」が「思考力・応用力」を伸ばすことになるという研究結果を発表している。

堀江さんの「好きなことで生きていく」というのは大賛成だが、ぼくにはその前提条件が少し足らないように感じるのだ。

 

 

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