夢を持っていた友人S
私の出身校は、地方の県立進学校だ。都会の皆さんは地方の県立進学校というのが、どのくらいのレベルなのかご存じないだろう。簡単に説明すると、市内で最上位。高校の偏差値は58程度というような感じだ。全国的に見たらたいしたことないのであるが、市内では、そこの高校に通っているというと、まあ一目置かれる。そんなのが、地方の進学校だと思ってもらって間違いではないだろう。
当時の私には、「夢」とか「目標」というのがそんなに明確にはなかった。(「夢」「目標」の必要性について語ってくれる大人が身近に存在しなかったのである。もしも、「そのような人がいてくれたら?私はどうなっていただろう?」それが、今の仕事をしている動機の一つでもある。)しかし、そんな「夢」とか「目標」がない私は特別な存在ではなかった。多くの友人もそうであったと記憶している。これも地方進学校の真実の一つである。
しかし、その中で「医学部に言って医者になる!」ということを明確に宣言している友人がいた。仮にS君と名付けよう!
S君は、前回の記事「合格率を上げる簡単な方法」をすべて実践していた。
そこまでするんですか?
それに加えて、彼が実践したことは驚愕に値する。
- 文化祭への不参加
- 体育祭への不参加
- マラソンへの不参加
- 修学旅行への不参加などである
S君は、学校行事をすべてスポイルしてその時間を勉強にあてたのだ。当然、学校の先生は良く思ってはいなかった。S君の親は、しぶしぶなのか積極的なのかはわからないが、認めていたのだろう。
当時の私を含めた普通の高校生は、「マラソン?かったるいなあ、やってられない。」とまあ、愚痴を言いながら参加したものである。当然今なら、「やるときめたら前向きに取り組む」というスキルを身に着けているのであるが、昔の私には望むべくもない。それを、きっぱりと参加しないと決め勉強に向けていたS君。私は、S君の遊び仲間でもあったので「単純にすごいな」という感想だったが、そういう彼を疎んじていた人もいたと思う。
そんな私にも修学旅行への不参加は衝撃的だった。高校時代の最高のイベントへの不参加である。彼がどんな気持ちで不参加を決め、勉強に取り組んでいたかはのちに知ることになる。
彼が手にしたもの
合格発表日S君は合格を手にすることになる。旧帝国大学医学部合格である。彼もすでにいい年になっている。順調に医者になり、具体的には書けないが、ものすごく出世もしている。
そんな彼と久しぶりに会ったとき聞いたのか?友人から聞いたのか?記憶は定かではない。どうして、そんな勉強方法をとったのか?という強烈な疑問への答え。
「俺が、合格するためにはそうするしかなかった!」
シンプルな答えだ。美しい答えだ。S君は、目的を達成するためにすべてをそぎ落としていたのだ。
失ったものも多かったであろう。先生の評判、一部の友人からのやっかみ。でも、物事の原点に立ち返ればすべてのものはトレードオフで成り立っているのだ。自分の力が足りていないのなら、差し出すものも大きくなるのは必然だ。僕たちはその覚悟をみたのだ。
どうして友人になったのか
最後に、私とS君がどうして友人になったのかを書いておく。麻雀である。上記のような彼であったが、たまにする麻雀には時折顔を出してくれたのだ。勉強を最優先していたことは間違いないが、息抜きとしてなのか私たちとの麻雀を大切にしてくれたのは今思うと感慨深いのである。
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